夜行バスで深夜の長野へ
旅のはじまりは、金曜夜の夜行バス。シートに身をうずめて目をとじ、ふたたび開けたときには深夜の長野だった。駅前におりたつと、記憶のなかよりずっと垢ぬけている——いつのまに、こんなに綺麗になったんだ。
冷えこむ夜、ちいさな展望台からまちの灯りをすこしだけ眺めて、仕上げはあざやかなクリームソーダ。緑のグラスをかたむけて、明日の善光寺参りにそなえ、はやばやと眠りについた。
善光寺参拝と妙高高原の滝・温泉、燕温泉泊
朝いちばんは善光寺へ。赤提灯のならぶ表参道の石畳を歩き、阿吽の仁王像がにらむ門をくぐる。本堂のあたりでは、傘をさした坊さんが本堂へ向かっていた——えらいお坊さんだろうか。無宗派のこの寺は、宗派を問わずだれでも迎えてくれる。牛に引かれて善光寺参り、の気分で手をあわせた。
長野電鉄の地下駅・善光寺下から電車にのり、ホームの駅そばでひと息。ごぼ天にちくわ天、玉子まで落とした贅沢な一杯をすすって、県境の妙高高原へ。トンネルを抜けると空が晴れた。めぐりんバスに乗りかえて、まずはいもり池へ。鏡のような水面に妙高山がまるみえで、まわりの紅葉もちょうど見頃だった。
つづいて日本の滝百選・苗名滝。柱状節理の岩肌を、地鳴りのような轟音をあげて水が落ちる。食堂できのこ汁をすすって温まり、赤倉温泉へ。お盆明けの平日で休みの店が多く、足湯で小休止。関山駅のしゃれた駅舎を抜けて、今夜の宿のある燕温泉へ。山の中腹の秘湯は、思ったよりずっと賑わっていた。細い山道のさきにある混浴の河原の湯は、ぬるめの白濁した硫黄泉で最高。宿にもどって、かんずりの効いた酒とつまみで、一日の疲れをほどいた。
善光寺
創建は約1400年前と伝わる、無宗派の名刹。本尊の一光三尊阿弥陀如来は、日本最古級ともいわれる絶対秘仏で、誰も見ることができない。本堂の床下をめぐり、暗闇のなかで極楽浄土への錠前にふれる「お戒壇めぐり」で知られる。「牛に引かれて善光寺参り」のことわざのとおり、宗派を問わず万人を迎える寺として、古くから全国の信仰を集めてきた。
燕温泉の秘湯
妙高山の中腹、標高約1100mにわく山あいの温泉。集落から細い山道を歩いた先に、無料で入れる二つの野天風呂がある。河原の湯は渓流ぞいの混浴の湯船で、乳白色ににごった硫黄泉。もうひとつの黄金の湯は男女別で、こちらも源泉かけ流し。妙高山への登山口でもあり、湯につかりながら山のけはいを全身で感じられる。
野尻湖・黒姫の一茶旧宅から姨捨を経て帰宅
立冬の朝。暦のうえでは、今日から冬がはじまる。日の出前、白くにごった湯にもう一度つかって、朝食は焼き鮭に出汁巻き、いちじくと牛乳。すっかりあたたまって、めぐりんバスで山をくだる。関川の関所をのぞいて、きんさんぎんさんの像に懐かしくなりつつ、県境を越えて信州へ戻った。
野尻湖では、ナウマンゾウの像が湖をみつめていた。マンホールの蓋にもゾウ。黒姫へまわって、鎌の産地という物産センターをのぞき、野鍛冶の家や小林一茶の旧宅をたずねる。やせ蛙まけるな一茶ここにあり——故郷に戻ってからの晩年は、けっして恵まれたものではなかったという。昼は蕎麦処でおそばをたぐった。
黒姫駅から長野へ戻り、締めくくりは姨捨へ。スイッチバックの駅をおりると、眼下に善光寺平と千曲川がひろがる。日本三大車窓のひとつに数えられる絶景で、日が暮れると、まちの灯りが宝石をまいたようにきらめいた。夜景を目に焼きつけ、信州味噌のきいた味噌ラーメンで腹を満たして、新幹線で帰路についた。
小林一茶
「やせ蛙まけるな一茶これにあり」「我と来て遊べや親のない雀」で知られる、江戸後期の俳人。信濃国柏原、いまの長野県信濃町の農家に生まれた。幼くして母を亡くし、長く江戸で苦労を重ねたのち、五十代でようやく故郷に戻る。だが晩年は火事で母屋を失い、焼け残った土蔵で生涯を閉じた——庶民の目線でよむ、あたたかくもどこか寂しい句の数々は、そんな境遇から生まれた。
姨捨と善光寺平
篠ノ井線の姨捨駅は、急な勾配を折り返しながら登る「スイッチバック」の駅。ホームからは善光寺平と千曲川を一望でき、九州の矢岳、北海道の旧狩勝峠とならぶ「日本三大車窓」のひとつに数えられる。駅の周囲に広がる棚田は、ひとつひとつの水面に月が映る「田毎の月」で古来名高く、更級の里は月の名所として和歌にもよまれてきた。